采配を憎んで監督を憎まず
“罪を憎んで人を憎まず”
孔子の刑論の中にある言葉だそうです。
今回はちょっと野球と組織論的な話です。
ファイターズは10/15(月)のクライマックスシリーズ1stステージ第3戦をもって、2018年シーズンが終わってしまった。
シーズンが終わると、いつも寂しくなるのは季節が深まっていくからだろうか…
そして左記のCSにおいて、ネット(主にTwitter)でトンキンが登板わずか5球で2発被弾し降板した件が大炎上…
自分自身も、ネットも炎上させるとは…アメリカンジョークにしては笑えない(-_-;)
僕は、栗山監督の考えは基本的には応援しているし、仕事で参考になる部分もたくさんあったから、尊敬もしている。
でも、昨日のトンキンの起用に関して言えば、もっと言えば投手起用に関しては、モノ申したいことがたくさんある。
僕が最初に疑問に感じたのは、ロドリゲスをなぜベンチ入りさせなかったのかと言うことだ。
まず、杉浦を先発投手して立てた以上は、長いイニングを投げさせるつもりは最初から無かったと思う。
そして杉浦と言う投手の特徴は、スピンの効いたキレイなストレートとフォークを軸に組み立てる投手だ。
逆にロドリゲスは、外国人投手特有の動くボール(ツーシームやカットボール)を武器としチェンジアップも効果的だ。
直球系と落ちるボールでこんなに特徴が違う投手が継投で出てきたら、相手打者が適応するのに苦労す可能性が高かったのではないか。
それにロドリゲスはシーズン中、先発を中心に投球してきた投手だから長いイニングも投げられる。
シーズン終盤は好調を維持していたし、彼にコンディションの不良が無かったのであれば、非常に残念だったと言える。
次に、感じたのは杉浦の後の投手だ。
結果論だが、井口は交代した直後、松田宣に本塁打を打たれた。
杉浦が中村晃を遊ゴロに打ち取った後、栗山監督は交代を告げた。
僕はその時、公文の名前が浮かんだ。
と言うのも、感覚ではあるが、杉浦の特徴(過去)と松田のイメージ(未来)を考えたとき左投手の方が良いと思ったからだ。
(松田は左に強くないというイメージが僕にはあった)
それで調べてみたらこんなことが分かった。
対左投手の打数が少ないので、データとして生かせるかは個々の判断として、僕は対戦数が少ないことも加味したうえ(慣れていないということ)で、左の公文をぶつけて欲しかったと…もちろん結果なんて分からないけど…
そして問題のトンキンの場面。
短期決戦は、良い投手からつぎ込んでいくのが鉄則だが、場面によっては例外もある。
それも分かる。。。
あの場面は、表の攻撃で近藤の適時打が飛び出し1点差に迫った場面だった。
絶対に相手に追加点を許してはいけない場面だ。それはデータや実数的な話で無く流れ的な側面として。
あそこまで、鶴岡の苦心のリードで3点に抑えていた。手を変え品を変えでは無いが、投手もそれに応えてきていた。
トンキンには致命的な欠点がある。技術的に低めへの制球力と、打者に対しての洞察力が全く無いことだ。もちろんメンタル的な部分が原因ではあるが、それを改善するために、シーズン中に栗山監督が辛抱強く使って、ファームへ行かせた。
それが改善されていないのであれば、あの超短期決戦で使うべきでは無い。
栗山監督びいきだから言うわけではないが、投手コーチは一体何をやってたのか?
外国人の契約の問題や、個々の担当や監督の強い意志があっとしても、上記の2点が改善されていないのに、使うという結論に至っていることが、組織としてあり得ない。
もっと言えば、監督・コーチは上司で、選手は部下に当たる。
ある意味、上司の命令は絶対と言っても良い。野球のチームと言うのは試合になればそう言う規律で動いていく。
ただ、部下の身になって考えれば、鶴岡は気の毒だ。喉にボールを受け、心身ともに本当に苦心してあそこまで来たのに、ホームランを防がないといけない試合展開で、制球力と洞察力の無い投手にサインを出さないといけないなんて、あり得ない。
僕が鶴岡の立場なら、「責任取れないんでキャッチャーごと代えて下さい。」と言ってしまいそうだ。
普段は選手想いの栗山監督がどうして…と思ってしまう。鶴岡のことを考えれば僕はもっと別の投手起用があったのではないかと残念でならない。
また組織の総意として、あの場面での起用に至るまで、誰も(投手コーチやバッテリーコーチが)苦言を呈さなかったのであれば、いっそう残念だ。
どのスポーツ紙やネットの記事にも、栗山マジックで3位と言う順位になれたと書いてあるし、著書を何冊も読んだ人間として、そこらへんの記者よりも栗山監督の考えを理解しているつもりだ。
クライマックスシリーズでは敗退してしまったが、それも一つの正解なのだと思う。
それは、トンキンのシーズン中からCSでの起用に至るまでも同様。
僕はCSでのトンキンの起用に関しては、間違っていると思う。
ただ、ファンとして栗山監督への信頼も変わらないし、組織マネジメントの先駆者としての尊敬の念も揺るがない。
まさに、“采配を憎んで監督を憎まず”だ。
僕も、栗山監督同様、もっと野球を勉強しないといけない。
いろんな人が応援してくれる中で、僕も野球の仕事をさせてもらっている人間として、幸せを感じながら、精進していきたいと思う。
そして来年は、栗山監督と一緒に笑える日が来ることを願って!