野球観術

野球や組織論はいつだって愛情から始まる

時代の流れ

 

先日、友人とゆっくり話す機会があって、“時代の流れ”についての話題で盛り上がった。

今や、世の中は働き方改革が叫ばれ、時間短縮ハラスメント=“ジタハラ”なんて言う言葉もあるくらい。

そして、スポーツ界や会社組織において鉄拳制裁は当たり前であったが、昨今では“パワハラ”で訴えられる時代だ。

そこにつけて、セクハラがセ・リーグパワハラパ・リーグで両方横行している職場では、“セ・パ交流戦”とか“セ・パ同時開幕”なんて言ったりする。

先の見えない時代に、我慢することの美徳も、法律で処される時代になった。

 

 

「寺院の号、さらぬ万の物にも、名を付くること、昔の人は少しも求めず、ただありのままに、やすく付けけるなり。この比は深く案じ、才覚をあらはさんとしたるやうに聞こゆる、いとむつかし。人の名も、目なれぬ文字を付かんとする、益なきことなり。何事もめづらしきことをもとめ、異説を好むは、浅才の人の必ずあることなりとぞ」

 

皆さんも子供の頃に国語の授業などで習った、『徒然草』の一文である。

 

解釈をすると、

「寺の名をはじめとし、何にでも名前を付けることに関しては、昔の人はただありのままにわかりやすく付けたものだ。しかし、最近では知識をひけらかすように見馴れない名を付けるような者が多いのはよくないことだ。教養のない人がすることだ」

 

鎌倉時代、今から約700年前から「最近の若い者は…」と言う言い草があった訳だ。

 

最近の若い者は定時に帰ることが当たり前だと思っている!けしからん!!俺たちの若いころは終電まで働いて頑張ったものだ!」

こんな感じが結果として“ジタハラ”と言うものを生み出したと想像できる。

 

僕自身も何度も経験させられたものだ。

特に、昭和と平成の狭間に生まれた僕としては理不尽過ぎて、怒りを覚えたものだが、今の“ジタハラ”の方がよっぽど精神的に参ってしまう…。

 

ものすごく前置きが長くなったが、プロ野球のキャンプも前半を折り返し、練習試合が組まれるなど、実践的な要素が入ってくるようになった。

 

今年のキャンプで、僕が感じたのが、キャンプ序盤でケガ人や体調不良の選手があまりにも多いなと言うことだ。

 

それこそ昔なら、ケガや体調不良を隠してでもキャンプ、オープン戦を乗り切り、開幕1軍を藁にもすがる思いでつかみ取った選手がほとんどだろう。

 

でもこれが「最近の若い者は…」と言うことになるだろうか…

誰一人として、キャンプで離脱したいと思って、キャンプインする選手は居ないだろうし、故障を隠すことで故障が悪化し、選手生命に関わることにもなりかねないのも事実だ。

 

先に結論を言ってしまうと、プロ野球も一般社会も、

より実力主義個人主義になった

ような気がする。

 

長い練習時間を美徳とせず、より効率の良い練習方法で、技術を習得する時代になっている。

一般社会で言えば、“生産性を上げる”と言う言葉に近いだろうか…

 

今年多い故障者(ケガ人や体調不良を含む)も無理をせず、治療に専念し開幕には万全の状態でと考えるようになったから、この時期にそう言うことがたくさん報道されるのだと思う。

 

僕はスポーツ選手では無いから、ケガの辛さを知らないが、効率の良いトレーニングや短い練習時間は、指導者の力量が問われると強く感じる。

昔は全員で走り込みをして、全員で同じような練習をこなして、それを頑張ることが美徳だったが、今は個々人にあった練習を自分で見つけなければならないし、指導者はより個にあった指導をしなければならない。

 

故障者が多いのも、その効率に則ったものが間違っていたと言うことなだけだと、僕は思う。

だから、悪いことだとも思わない。

ただ、効率的な練習で、故障もせず技術を上げられれば良いがそれが出来ない選手もいるはず。

昔はそういう選手は、我慢をする練習をすることで指導者から認められることが多かった(=一般社会で言えば、上司の言うことを聞いて残業を沢山した人)が、今やそれも無くなったと思う。

 

だから、故障をしっかり治して効率よくシーズンに入れると思えば、それが正解だとも思うし、逆に言えば効率的に技術向上できない選手にとっては辛い話だ。

 

これも全ては“時代の流れ”だ。

それが良いか悪いかでは無い。

それによるメリットもデメリットもあるのは事実だ。

実力差が出やすくなったと言う部分においては、

昔のやり方が合っている人も居れば、昔であれば埋もれてしまった人が今は実力を発揮できる時代になったと言える。

 

キャンプの話題に戻るが、しばらくは実践が入ってきても、調整段階である。

2月中くらいは、投手有利の状況が続く。

打者の目が実際の投手のボールに慣れていないからだ。

 

 

今日の話題で言えば、今大切なことは“効率”では無く、投手で言えば1球でも多く実践で投げる、打者で言えば、投手のボールを1球でも多く見ることだが、その機会が与えられるのも、だんだん限られた人になってくる。

 

もちろん故障者には、その機会は与えられない。

 

それは“時代の流れ”が変わっても、変わらないことなのかなと思いながら、今回は締めようと思う。

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