野球観術

野球や組織論はいつだって愛情から始まる

稚心を去る① ~心身脱落~

 

今回は筆者個人的な話と、ファンの選手(=推しメン)、栗山監督の話を2回に分けて更新しようと思う。

 

標題は今年の2月にファイターズの栗山英樹監督が出した著書のタイトルだ。

 

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その本の中に、『答えが無いからこそ、ヒントを探し続ける』と言う章がある。

その中で、

「オフの日にヒントを求めて歩き回るのは、日頃、むさぼるように本を読んでしまう理由にも通ずるものがある。負けた悔しさから、試合後、食事も取れずにずっと本を読んでいて、気付いたら外が白んでいた、なんてことも何度もあった。 ~省略~ 変な言い方だが、決して読書が好きなわけではなく、監督をやっていて、いつも何かヒントが欲しくて読んでいる。いわば“欲しがりの読書家”だ。

人はつくづく答えを見つけたがる生き物なのだと思う。でも、野球には答えがない、もっと言えば人生には答えがないから、ひたすらヒントだけを探し続けている。」

 

と書いてある。

 

立場は違えど、僕自身も同じだ。

子供の頃は本を読むのが嫌いで、読書感想文も親に書いてもらったり、課題図書も読まないようなタイプだった。

大人になり、それこそ答えの無い現実に身を置くようになって、暗闇の中で答えを探し求める中で、たくさんの本を読むようになった。

 

その中で、栗山監督の著書は出版されると必ず読んでいるが、今の僕にはこの『稚心を去る』と言うのが、必要な要素なのかもしれない。

 

ここからは本当に個人的な話になるが、僕の中では大きなモノ(コト)を失うことになった。(物理的な何かと言う訳ではない…)

普段から本を読んだりしているが、それでは気持ちが落ち着かず、禅宗のお坊さんのYouTube動画に出会った。

 

その中で

心身脱落(しんじんだつらく)

と言う言葉が出てきた。

 

これは鎌倉時代曹洞宗の開祖である道元が悟りを啓いたと言われる言葉なのだとか。

 

人間には欲がある。それが行動の原動力にはなるが、それが過度になると成功の妨げになるものだと言う。

 

何が何でも成功したい、絶対に失いたくない、そう言う欲が結果として凶と出てしまう。人間の欲と言うものはそういうものなので、そう言う心身の欲を捨てることを心身脱落と言うらしい。

 

まさに今回は、欲と言うか、“欲から来る恐怖心”が大切なモノ失う要因となった。

 

この“恐怖心”は他でも無い、自分自身が作り出した幻覚であり亡霊のようなものだ。

 

結局、僕は自分が作り出した幻覚と亡霊に大切なモノを持ってかれてしまったのだ。

 

その亡霊とやらは、大切と思っているモノをいざ失ってしまうと、どこかへ行ってしまった。

それが欲から来るものなのか自分自身の弱さなのか分からないが、その亡霊が二度と自分の中に出てこないように、“心身脱落”と言う言葉を胸に秘めて生きて行きたいと思う。

 

そして野球の話に戻ります。

 

アイドルや野球選手には推しメンが決まる瞬間と言うのが僕の中にはある。

そしてその選手と言うのが今年、石井一成に決まった訳で、そんな自分と共感できる部分が多く、応援したいと思ったのが一番だ。

 

 

昨年彼は、打撃が上向いてきたところで致命的な送球エラーから調子を崩し、一軍の戦線に戻ってくることが出来なかった。

 

そんな彼は今年、開幕スタメンを勝ち取った。

しかし、10打席ヒットが無いまま2軍落ち。

ファームの試合でも、消極的な打席が目立ったが、5月7日の浦和の試合で本塁打を含む2長打で1軍の切符を再び手に入れた。

 

9日に登録即サードでスタメンに起用されると、最初の守備機会で失策を記録。

終盤の重要な局面で、ライナー飛び出しで走塁死となる。

今季初安打を記録するも、心象の悪い内容となった。

翌日も安打を放ち、11日には今季初打点も記録。

 

失敗をするとイライラするし、打てば心から嬉しい。

そう言う選手と言うのが、本能的に応援する選手なのだろうと言うことで、推しメンが確定したわけだが、打席や守備で消極的なプレーが随所に見られる。

 

恐らく、失敗したくない、ファームに落ちたくない、そういう幻覚や亡霊に取りつかれているのではないだろうか…

彼の去年からの経緯を考えれば当然のことだと思う。

 

栃木の強豪、作新学院でキャプテンを務め甲子園にも出場した。早稲田大学に進学し、強肩強打の遊撃手としてファイターズにドラフト2位で入団した所謂エリートだ。

 

そんな彼も3年目で、いろんな事を考えてしまうだろう。

 

幻覚や亡霊が、打席ではボールへの入り方、守備では1歩目の動き、走塁でも焦りからライナーで飛び出したり、翌日は逆にスタートが遅れた(進塁=得点できなかった)りと彼の一つ一つプレーに現れて見える。

 

背負っているモノが違えど、最近の僕と同じように見えてならない…

彼はもともと、難しいボールでもヒットにできる高い技術を持っている。甘いボールをしっかり打つことが出来れば、3番を打てるくらいのポテンシャルはあるし、守備面も中島卓に次ぐ守備力を本来は持ち合わせている。

それを発揮できるかがプロの世界なのかもしれないが、彼には培ってきた経歴や高い能力がある。

それを自分自身で作り出した幻覚や亡霊になんかに潰されたりして欲しくない。

 

僕個人の話に戻るが、

自分で決めた舞台で戦うと言うことは、そう言うものと戦わなければいけないと言うことを僕自身がこの歳になって身を持って感じた。

 

長くなってしまったが、次回は一緒にそう言うモノと戦って行きたいと言う思いも込めて、その処方箋を、自分自身への戒め、彼へのエールとして、栗山監督の話と絡め更新していきたいと思う。