看脚下
いまから九百年も前の人、中国は宋の時代、臨済宗中興の祖、五祖法演禅師(ごそほうえんぜんじ)がある晩、三人の高弟とともに寺に帰る途中、どうしたことか提灯の火が突然消えてしまった。
すると法演禅師、即座に三人の弟子の対し、
「この場に臨んで各自一句を述べてみよ」
と命じた。つまり、暗闇をゆくには灯火が何よりの頼り。その頼りの灯火が消えた。さあ、「どうするか?]というのである。師匠の命に応じ、三人三様の答を出したが、なかで克勤(こくごん)は、「看脚下」と答え、師匠を感服させた。
暗闇に灯火を失ったような人生の悲劇に遭遇したとき、人は多く右往左往してこれを見失い、占いや苦しいときの神頼みに走り、あるいは悲劇のドン底に沈淪しがちなものだが、道は近きにあり、汝自身に向かって求めよと教えるのが、「看脚下!」の一語である。
~上記文献~
最近、禅宗の内容が多い。
悩みごとのヒントがどこかに無いかと常に探し続けている訳だが、
人生の師匠に言わせると「お前は、悩むことが好きなんだな」と…
決して好きで悩んでいる訳はない…
自分の身体・技術・心で解決できない事柄に遭遇すると、すぐに立ち止まって考えてしまう性格なのだ。(結局は悩むのが好きと言うことなのかもしれないが…)
そして本題…
ファイターズはリーグ戦再開のソフトバンク戦に3連敗し6連敗となった。
借金生活になり、首位のソフトバンクとは6ゲーム差まで広がった。
後半戦になったら、5ゲーム差以上はデッドラインだ。
選手は一生懸命にプレーをしている。
勝敗の責任はすべて監督にある。これが栗山監督の言う「全部、こっちの責任!」だ。
どうしたら選手が自分らしくプレーできるのか?どうしたら勝ちやすいのか?
そんなことをずっと考えている栗山監督に僕自身もヒントをもらいたくて、いつも著書は自分の近くに置いてある。
と言うのも最近、何かを信じ続けることの厳しさみたいなものを感じる。
野球で言えば、いつだって「ファイターズは勝てる!」と信じるしかない。
僕が代打で出て行ってホームランを打つわけにも行かず、秋吉の代わりに9回のマウンドに上がって3つ三振を奪って帰ってくることもできない。
ただただ信じるしかないのだ。
でもこうやって連敗が続くと、
どの選手が悪い!
監督の采配が悪い!!
あそこでバントが成功していれば…
あそこでエラーをしていなければ…
僕らはファンだから多少そう思うのは当然だし、勝ちたいと思っているからこそ思うことでもある。
でも、こう言うことを言う回数が増えれば増える程、信じることから遠ざかってしまう気がする。
仕事や恋愛でも、相手が悪いと思い始めたら、それは間違った方向に舵を切り始めたと言うことなのだと思う。
「いつも同じ思考で、根拠を持って、ある答えに行き着く。そのときどきで行き着くところは違っても、考え方は変わらない、それが『ブレない』と言うことだと思っている。」
『稚心を去る』より
こんな難しいことを大きな意味で実践することは容易ではない。
だから「看脚下」
連敗が重なり、長いトンネルに入ったチームを信じることも、足元をしっかり見ることからスタートなのかなと。
勝つことをちゃんと信じて観てあげられているかな?
誰かのせいで負けたとか思ってないかな?
思ったとしても、しっかり信じるところに戻って来れるかな?
ファイターズの選手たちにもそんな思いが伝わればと思う。
一つの打席、一つのアウト、連敗が続くとそう言うものが蔑ろになりがちだ。
『看脚下』
栗山監督なら当然知ってそうな言葉だが、来週からの西武三連戦・楽天三連戦と大切なゲームが続く。
僕自身もファイターズもまずは足元から…
しっかり信じることからスタートします!!
監督辛そうだな…(泣)