甲子園レポ②
前回に続く更新です。
甲子園の戦いは進んで行く中、個人的なことが中心になってしまうが、今回の遠征でいろんなことを感じたので、それを備忘録として書して行こうと思う。
③野球の楽しみ方
昨年、野球に関係する仕事をしたくて会社員を辞めてフリーターと言う選択をした。
しかし、うまく行かず“野球の仕事をすると言う夢”は簡単に潰えてしまった。
野球が嫌いになりそうになりながら、できることはやった。
自分の力の無さに悔しさしか残らなかった。
空いてしまった時間はブログを更新することで、野球への気持ちを取り戻していった。
「いいブログを書きたい!」
そんな思いとは裏腹に、
野球を一生懸命観ていて
「野球ってなんだろう?」
と言う逆に悶々とした感覚があった。
甲子園に遠征に行くとき、例年記録を取って帰ってくる。
日刊式スコアをベースにしていて、今回の同伴者に教えてもらって、かれこれ10年近く続けていた。
野球の仕事をするにあたって、一般的なスコアシートをつけるようになって、今年はどちらにしようか迷っていた。
出発当日まで決められず、用紙を両方印刷して、現地に入った。
同伴者に「どっちをつけるか迷ってるんだけど…」と問うと、
「野球が楽しめる方が良いですよ!」
と言う答えが返ってきた。
仕事でちゃんと野球を観れるようにならなきゃ…
それに失敗して「ブログの事も含めて、ちゃんと野球を観ていかないと…」
仕事から趣味に戻ったのに、どこか野球を観ることが苦しくなっていたなと言うことに気付かされた…
1日目の観戦は、異常なまでの混雑ぶりで、入場が試合開始に間に合わずも、外野席になんとか入ることが出来た。
その時「観れるだけで幸せだよ!」と口を突いて出た。
本当に心から幸せだった。
東京からわざわざ来たからと言うのもあるが、天候以外の理由で観れないと言う可能性があって、あの球場の雰囲気を肌で感じた時、
「野球を観るってやっぱり楽しいことなんだ!」って心の底から感じることが出来たのかもしれない。
このブログのタイトルは“野球観術”となっているが、
同伴者に改めて“野球の楽しみ方”についてお酒の席で話を振った。
「勝敗に一喜一憂するのは、最初に野球を観る入口として、そこから内容を楽しめるようになるのが良いと思います。ただ球場に行くことを目的にして、野球を観ないで、チームや選手の悪口を言っているのは違うと思います。」
やっぱりコイツの言うことはすごいなと思うとともに、ヤジも賛辞も一級品のコイツなりの野球へのリスペクトを感じたし、
ほろ酔いの中、大きな答えをもらえた気がする。
結局今年も、日刊式スコアで記録をつけたが、1年ぶりと言うこともあって間違うことが多かった。
ただ、同伴者からそんな言葉をもらっていたのもあって、
「今回は楽しければ良いや!でも、やっぱりある程度はしっかり付けたいな!」
と言う気持ちになれた。
ただ、外野席で3人で観戦をしていて、攻守の作戦や内容に関しての会話(解説)が非常にハイレベルで、僕なりに野球を勉強した誇りみたいなもの、
「“野球観術”は、ちゃんと持ってるぞ!」
と自分なりの楽しみ方も確認することができた。
やっぱり野球は楽しいものだ!
④甲子園は人間の生き方そのもの
今年は、大船渡高校の佐々木君の連投の問題、
個人的には高校野球の異常な加熱ぶり、
甲子園を取り巻く環境は、時代の流れとともに変化が求められている。
そんな甲子園の歴史は101回を数える。
話は大きく飛ぶが、
スポーツの起源は1900年前に遡る。
人間が狩猟生活から、社会生活を営むようになって、ローマの闘技場(コロッセウム)で、人間と獣、人間同士が殺し合うことを観戦するようになったのが起源と思われる。
そこからいろんな歴史を踏まえ、道具を使った戦い=球技 が生まれ野球もその一つだ。
今は女性アスリートもたくさん居るが、本来、男性は狩りをすることを生業としていて、その攻撃性をスポーツに向けることで、社会を収めていた。
それを観衆が観て楽しむ。
それがスポーツの起源だ。
歴史はアメリカンフットボールが始まりと言われるチアガール、すなわち女性から応援されることで男性が輝く。
道具(=楽器)を使ってそれを盛り上げる歴史もかなり長いと聞いたことがある。
そんな歴史や教養に、今抱える高校野球を取り巻く環境に対して進んでいく道のヒントがある気がする。
教養を身に付けることは、何かとお騒がせの堀江貴文氏や
日本ハムの栗山監督もこれから生きる上で絶対に必要と言っている。
あまりにも僕が栗山監督を崇拝しているので、先日、栗山監督のレプリカユニフォームをプレゼントしてもらう機会があった。
僕自身、普通に見たら楽な生活をしているが、この時代の変革期に自分が今置かれている状況を考えると、頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、
嬉しくて飾っているユニフォームを眺めては、一人で悩んで、監督と同じで寝ることや食べることすら忘れてしまう日もある。
「苦労をしている訳でも無いのに、何を悩んでいるんだ!」
とお叱りを受けそうだが、この性格が災いしていて前に進むことが出来ない。
このテーマの冒頭に触れたが、高校野球が変化を求められている。
高校野球はいろんな意味で、大人の利権に振り回される傾向にある。
それが今年、大船渡高校の佐々木君の問題で大きくオープンになる格好になった。
それでもフィールドでプレーする選手たちは、ものすごい努力をして甲子園の舞台に立っている。
だからこそ、その努力が実を結ぶプレーが出ると、スタンドから大きな拍手が沸き起こる。
甲子園に出場するまでには、綺麗な努力だけでなく、理不尽なこともたくさんあったと思う。
それでも、一つのストライク、一つのアウト、を取ること、一本のヒットを打つことなど、チームの勝利のために必死にプレーする。
大人は、そう言う姿に感銘を受けるし、日常のしがらみから解放される瞬間なのだと思う。
僕が常々思うのは、どんなことも
“応援する(される)”
と言うのが最も強いと思っている。
仕事、結婚(恋愛)、スポーツ、たいがいのことは人間関係が発生する中で、
「今の僕は、応援することも、されるようなことも出来てないな…」
と、試合を観戦する中で感じた。
もう一つ、過去にこんなブログを更新したが
子供っぽさが抜けない自分が嫌いで、
“何が子供で何が大人なのかな?”
ってずっと悩んでいた。
やっぱり何かを与え続けることが出来る人が“大人”なのかなと思うようになった。
日本人的な発想かもしれないが、高校野球はプロ野球と違って潔さを大事にしているからこそ、感動を与える部分もある。
それを考えると、甲子園でプレーしていると球児を観ていて、
「僕は彼らよりも何かを与えなければいけない立場にあるのに、逆に感動を与えてもらっているな…」
試合中、感動するシーンがあって涙が出そうになるとき、自分の情けなさみたいなものも一緒に込み上げてきた。
僕の場合には、「足りないものを補うために、子供っぽさも一つの魅力だよ!」と親友に言われたこともあるが、そう言う部分も大切にしながら、
“何かを与えられる存在に戻ろう”
と心に決めて東京に帰ってきた。
今回の甲子園遠征は、今まで感じたことの無いようなものを感じて帰ってきた。
自分にとって野球とは…
人間が社会で生きる上で変化してきたこと、変化できないこと。
その中で、ポンコツな僕が生きていけるとしたら…
自分の中の答えは
野球は楽しいもの!
どんなことも応援する(される)
存在になる!
甲子園と言う場所が、
ダメダメになっていた僕にそんなことを思い出させてくれた。
明日からはベスト8のチームが登場する。
時間があれば、優勝校が決まったあとにでも、総括をしたいなと思っています。
そして、
今日からこの大切な思いを持って、生きて行きたいと思います。