責任は取るものではなく、果たすもの
日本ハム栗山監督、今季終了後に進退伺 8月20敗で大失速…3年連続V逸の責任重く
https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2019/09/24/kiji/20190924s00001173105000c.html
球団としては、栗山監督に続投の要請をすると言う記事が出ていたが、吉村GMとの会談でどのような結果になるか…
僕個人的な話をすれば、
栗山監督には続投して欲しい。
せめてあと1年・・・
それはファイターズと言う最も愛すべきチームの指揮官が、僕の人生に与えてくれる影響がものすごく大きい
特に、自分が大きく変わろうとしているこの時期に、監督と言う立場から退いてしまうと言うのは、羅針盤を失うようなものだ…
僕は5年くらい前から、栗山監督の口癖である「全部こっちの責任」と言う言葉を好き好んで使っていた。
それは、仕事をする上で必要な考えではあったが、“なんとなく好き”で使っていた部分はあった。
しかし、今年に入ってだんだんその意味が分かるようになってきた。
「全部こっちに責任」なんだけど、それがどうすることもできないことだったりすると、頭の中が混乱することもあった。
しかし最近は「ある意味ではこっちの責任ではない」と言う考え方が出来るようになって、最終的には「全部こっちの責任」の本当の意味に行き着くようになった。
栗山監督の進退が決まる前に、自身が尊敬する監督の思い(言葉)を紹介したいと思う。
組織のトップは、責任を取るのが仕事だと言われる。
もちろん監督は、チームが勝てなければ、クビになってもしょうがない。
それが一番勝ちやすい方法だと信じてやった結果、それでも勝てなかったのであれば、納得して受け入れるだけだ。
その経験が少しでもチームの、そして選手の糧になればいい。
ただ一方で、はたして監督がクビになることで、責任を取ることになるだろうか?
と言う思いもある。
自分が辞めたくらいで、きっと責任は取れない。
取れるわけがない。
でも、もし自分が進退をかけることで、選手のためになれることがあるんだったら、そんな幸せなことはない。それで充分だ。
本当に考え方次第なのだと思う。
世の中にこんなに大勢の人がいて、こんなにたくさんの野球をやっている人たちがいて、そんな中で、勝ち負けの責任が自分にある場面で野球ができるなんて、そんなに嬉しいこと、そんなに喜ばしいことはない。
だから、そんなことでへこたれている場合じゃないのだ。
「今度は必ずやってやる」と思えばまた頑張れるし。
責任は「取る」
ものではなく「果たす」もの。
「果たす」ことが、指揮官の責任だ。
『稚心を去る』より
この本は今年の2月に出版されたものだが、みなさんはこの言葉を見て何を感じられただろうか?
上記の記事にもあるように、辞意を示したものでは無く、進退伺いだから、
球団から
「監督としての責任を果たせ!」
と言われれば続投してくれると信じている。
優勝を逃し、クライマックスシリーズ進出も果たせず、と言う事実が今年の結果だ。
でも、果たして今年の結果は
栗山監督の責任で済まされる話だろうか?
もちろん、勝敗の責任は監督にあると言うのは僕も同感だ。
現場を預かる人間が他人のせいにし始めたら、それは組織の崩壊でしかない。
今シーズンの振り返りは、田中賢介を見送ったらたっぷりしようと思っているが、
果たしてチームを編成している側面においてはどうだったか?
新外国人のハンコックとバーベイトは全くと言って良いほど戦力にならなかった。
ドラフトでは吉田輝星を始め、高卒ルーキーを中心に獲得した裏では、大卒で福田、社会人卒で生田目を獲得しているが、即戦力にはならなかった。
逆に結果が良ければ良いと言う問題でもなく、秋吉の獲得は本来クローザーを想定したものであったのか?
金子弌大はなんのために獲得したのか?
監督と言う立場上、今ある戦力で戦って行かざるを得ない。
そのことも含めて、
栗山監督が悪者になって退任していくことだけはやめて欲しいと思っている。
栗山監督は一般的な考え方とは1歩も2歩も先に進んだ考え方をしている。
僕自身
「その意味が理解できへんのやったら、監督の批判なんかすんなや!」
と思ってしまうこともある。
野球個々の采配に関しては、賛否があっても良いと思う。
もちろんファンはそれが“仕事”でもあるから。
批判されることも含めて、現場のトップが果たす責任は非常に辛い。
もう一度言うが、せめてもう1年その責任を「果たして」欲しい。
それまでに僕も、しっかり「稚心を去る」約束を監督としたいと思う。
その願いを持って、今回の更新としたいと思う。