理想はノーサインで
先日、職場の上司(部門の管理者)と仕事中こんなやり取りがあった。
上司「〇〇さん(自分)、これが終わったら次はあれをやって下さい。」
自分「そう言われると思って、時間配分しておきましたよ!」
上司「ありがとうございます。わかってますね!」
自分「究極は全てノーサインで、こう言うことが出来るのが理想ですよね」
上司「それじゃあ、社員の意味が無くなってしまいますよ(苦笑)」
自分「いや、自分は管理者時代にそこを理想にしてましたよ」
令和の世、サラリーマンの縦割り構造が崩れ始め、フリーランスの人も多くなったが、実際問題、組織の構造は根強く残っている。
先日、名門の横浜高校で指導者の暴力行為が内部告発によって活動自粛となった。
これこそが、軍隊的な縦割り構造の崩壊を象徴している典型的な例だ。
最近、甲子園に出場する高校でも、そう言った考え方が分かれつつある。
規律が全て!引き締めることが美徳!みたいなことの固定観念が揺らぎ始めている。
3年前にこんなやり取りが話題になった。
夏の甲子園で下関国際の監督が翌日に対戦する三本松高校の選手(生徒)を見て、
「自主性というのは指導者の逃げ。『やらされている選手がかわいそう』とか言われますけど、意味が分からない。(対戦する)三本松(香川)さんって進学校ですか?」
――どうでしょうか……県立ですよね。
「三本松さんの選手、甲子園(球場)でカキ氷食ってましたよ。うちは許さんぞと(笑)。僕らは水です。炭酸もダメ。飲んでいいのは水、牛乳、果汁100%ジュース、スポーツドリンクだけ。買い食いもダメ。携帯は入部するときに解約。3日で慣れますよ。公衆電話か手紙でいいんです」
試合の結果は
下関国際4-9三本松
高校生にはある程度の制約や指導は必要と考えるが、この軍隊的な考え方が、今のご時世に合うとは到底思えないし、上から目線で批判した相手に試合の結果でやられてしまうなんて本当に滑稽な話だ(爆笑)
最近は甲子園に出場する高校でも、全てノーサインで戦う高校も出てきている。
良いか悪いかは別にして、“自主性”を軽視している下関国際の監督や世の中の時代錯誤の指導者(コーチや会社の上司)などには到底分からない感覚だろう。
どの著書であったか探しきれなかったが、栗山監督が
「試合中、監督が何もせずチームが勝てるのが理想」
そこから、
「監督は方向性を示さなければいけない」
「監督は決める係」
「監督は偉い訳ではない」
「監督は中間管理職」
と逆算的にいろんなことを考えている。
僕も管理者(正社員)時代には参考にしていたし、今の立ち位置(パート)になっても、そこを基準に物事を考えている。
現実問題、プロ野球の世界でベンチからノーサインなんてことはあり得ない。
でも、ノーサインで野球が進められればこんなに強いチームは無い。
最近仕事では無いが、組織の中でサインとノーサインについて考えさせられる機会があった。
どちらにしても最も大切なのはコミュニケーションの質と量だと思う。
そしてそのタイミングだ。
そして僕が大切にしているのは、野球の業界で言われる
“先付け”と言う考え方だ。
2015年のある試合のエピソード(少し長めの文献)
2-4のファイターズ2点ビハインドで迎えた8回裏のファイターズの攻撃。
先頭の8番市川がヒットで出塁し、(無死1塁)続くバッターは9番中島卓。ネクストには陽岱鋼。
中島の打席(の最中)、林孝哉打撃コーチに、ある指示を与えていた。
「卓が歩いたら勝負だからね。岱鋼に言って」
ノーアウト1・2塁となれば、送りバントと言う選択肢もあるわけだが、あそこは迷わず勝負と決断した。手堅く岱鋼に送らせ、万が一失敗した場合のダメージ、また成功して1死2・3塁となり次の西川に託した場合の得点のイメージなど瞬時にいろんなケースをシミュレーションし、出した結論が岱鋼勝負だった。
彼は前の打席、この試合、チーム初ヒットとなるホームランを打っていたが、その印象に引っ張られたということはない。たとえ前の打席の結果が違っていたとしても、指示は変わらなかった。
中島がきっちりボールを見極めて1塁に歩くと(四球)、打席に向かう岱鋼を林コーチが呼び止め、それをきっちり伝えた。
このタイミングでの岱鋼への指示、我々の用語でいうと「先付け」が重要だと考えている。
送りバントのサインが出るのか、それともヒッティングか、両面を想定しながら打席に立つのと、あらかじめバントはないと言うことを伝えてやるのでは、本人の気持ちの持ちようがまるで違ってくる。高いレベルで紙一重の勝負を繰り広げるプロ野球の世界ではこの準備の差が明暗を分けることも少なくない。
岱鋼は、2球続けて空振りしてあっさり追い込まれるが、そこから粘って値千金のフォアボール、期待に応えてくれた。
この試合、監督の一番大きな仕事だったと言ってもいい。無死満塁となり、2番西川・3番田中賢・4番中田と続く。もうベンチが黙って見ていれば、必ず得点が入る。
少し肩の荷が降りた心境だった。
ところが、つくづく野球は難しい。フルカウントから西川が放ったファーストゴロは、一塁走者の岱鋼を足止めさせるアンラッキーな打球となり、本塁と二塁で封殺される変則ホームゲッツー、最悪の結果になった。
まさかのプレーではあったが、えてして負けるときはそんなものである。やるべきことをやっても負けるときは負ける。
『未徹在』より
この考えは野球の監督と選手と言うだけにとどまらず、会社の上司と部下、
縦の関係で無くても、横のつながりであっても言えることだと思う。
サインを出すにしてもノーサインにしても、この“先付け”の重要性と言うのは非常に大きいと常々思っている。
仕事で上司からの指示も、断片的なことが結構多いし、指示無しで動かなければいけないケースもある。
この“先付け”があることで、結果は大きく変わる。
上記でも述べたが、事前にどれだけコミュニケーションを取っているかも結果を左右する。
栗山監督も言っているが、つくづく野球は難しいと言うように、人間関係が介在する組織においては、つくづく難しさを感じることが多い。
だから、
「こう言う方向性で行くよ!」
「このケースではこう言うサイン(指示)が出る可能性があるよ」
「俺はこう考えてるけど、どうかな?」
「こうなったら、任せるからね!」
と言う会話が絶対に必要だと思う。
そのことがうまく伝わっていなかったり、
結果が芳しくなければ、それこそ発信者側である「こっちの責任」である。
そんなコミュニケーションの積み重ねが、理想であるノーサインに近づくことと思う。
それはあくまでも理想ではあるが、考えを伝えたり、共有したりすることが出来なければ、サイン(指示)を出したってうまく行くわけがない。
今回は文献長めの、組織論だったが、ベンチからのサインに限らず、サインが合わない時の投手と捕手のやり取りも含め、サイン・ノーサインについて考えさせられる機会がたくさんあったので今回の更新とします。
(サインを出し終わり戦況を見守る飯山三塁コーチ)
(サインが合わなかったらマウンドでしっかり相談!内野手への先付けも大切!)
(こちらはサインを出す側)