野球観術

野球や組織論はいつだって愛情から始まる

組織の愛情とは

 

このブログのサブタイトルである

「野球や組織はいつだって愛情から始まる」

と言う観点から,

最近自分が感じたことを綴って行こうと思う。

 

関心の無い方はいつものこれで↓

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新型コロナウィルスの感染拡大はある意味非常事態だ。

別に不安を煽るわけではないが、こういう時に組織の正体が問われるなと身に染みて感じる。

 

特に日本政府の存在にはがっかりさせられた・・・

我々は納税の義務日本国憲法で負っている。

これは免れることができない。

国会で増税が決定されれば、それに従わなければならない。

 

しかし、今回のように、我々国民に困ったことが起きても、助けてくれることは無い。

自分たちの利権を守ることしか考えていない。

 

「払うものだけ払ったら後は知らない」と言われているようなものだ。

 

 

非常事態宣言や、自粛要請に“法的拘束力”は無い。

 

だからこそ、誠意や模範と言う目に見えない力がモノを言う訳だが、

組織(日本国の)トップの嫁さんは、堂々と遊び惚けている。

別にワーストレディー(ファーストレディー)は一私人なのだから、なにをしようが自由だが、それを言ったら、我々だって自粛を要請される謂れは無い。

(繰り返すが法的拘束力はない)

 

「感染拡大防止にそれぞれが自覚を持って対応してほしい」と言うが、要求ばかりして、(政治家は)「自分たちはどうやって自分たちの身分を守ろう」か、「どうやって利権を守ろうか」と言う話なのだから、

それで日本で感染が拡大してもそれは政府の身の丈にあった現状と言うことなのだと僕は解釈している。

 

 

 

仕事では、スーパーマーケットと飲食店と言う“コロナショック”で明暗が分かれた両環境で仕事をさせてもらっている。

 

不安に駆られてスーパーで買い占めをする最前線で仕事をしているが、愚かさを感じる反面、なんの拘束力も無い「外出自粛要請」に流される日本国民の集団行動の規律性みたいなもの感じた。

 

日本政府にしっかりとした政策決定能力が無いのであれば、せめて表面的でも誠意や模範を示すべきではないのかと思う。

それだけでも、日本国民の規律性があれば、感染拡大は防げるのではないかと思う。

 

 

 

また、阪神藤浪晋太郎投手が、新型コロナウィルスの陽性反応が出て、自ら公表することを名乗り出たと言う。

 

自らが感染したことを公表すると言うことは、野球界に大きな影響を与えることを自覚したうえでの行動であり、(外出許可をしていたと言う不利な情報も含め)批判覚悟で公表した藤浪晋太郎投手と阪神球団に敬意を表したいと思う。

 

また、そこに

改めてプロ野球選手の意義みたいなものも感じた。

決して、選手としての成績は満足するものでは無いが、甲子園(高校野球)で大活躍をしてプロ野球の世界へ入った人気選手であり、ヒーローなのだ。

 

言い方は悪いが、不人気球団の名前も知らないような選手が感染して公表しても、啓蒙活動にはならない。

 

藤浪投手が背負おうとしたものの大きさ、人気プロ野球選手としての自覚は、本当に素晴らしく尊敬に値することと思う。

 

それに呼応する形で、巨人と日本ハムは、一時チームの解散(解体)を球団側から指示をした。

 

これも組織としてある意味では一石を投じたものと思う。

 

巨人と言う球団も、利権にどっぷり浸かった組織だ。

それが対外的なアピールだったとしても、球界に一石を投じた。

原辰徳監督の提案だったとも言われている。

 

日本ハムは比較的自由な風土だが、それも今の時代に合わせた組織体系と言える。

今回は、選手のモチベーションや体調管理に配慮する形での決定と感じられるし、ファイターズと言う組織の良さが滲み出ている気がする。

 

やっぱり組織と言うのは愛情が無ければ壊れていくものだと思う。

何度も言うが、自粛要請や最近流行りの“ロックダウン”などは法的な拘束力は無い。

 

拘束力の無い中で、何かを動かそうとしたら、愛情や熱意無くして人間は動かない。

(恐怖心を煽る方法はあるが・・・)

 

何を信じ、誰を信じるかも、そこに最終的にはそこに行きつくと思う。

 

今回は野球の話題から離れたが、こう言う発信もブログのテーマに沿うものなので、更新をさせてもらった。

 

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