野球観術

野球や組織論はいつだって愛情から始まる

悪いのは…

 

今週は、仕事以外にいろんなことを同時に進めていて、ブログが更新できませんでした。

 

一つは去年の今頃に決めていた未来を実現すること

もう一つは、これから未来を創るために必要なこと

 

として位置付けていて、多少身体に無理をさせたが、なんとかやり遂げました。

 

東京都で新型コロナウイルス感染者が200人を超えて云々かんぬん」と言うニュースが出ているが、最大の感染防止対策は、免疫力を維持することであり、内臓が決して強くない(基礎疾患を抱えている訳では無い)僕にとっては、睡眠の確保が外せず、ブログ・Youtube の方が疎かになってしまいましたが、僕にとってはこれが正解だったと思っています。

 

前置きが長くなったが、

今シーズンのファイターズは総じてミスが多く、特にここ数日、そのミスが負けに直結している。

 

栗山監督は「ミスも含めて野球」と言う表現をしているが、それを選手がどう言う解釈をしているかと言うところから問題提起をしたいと思う。

 

栗山監督のメッセージが間違って解釈されている気がしてならない。

選手にとってもファンにとっても「ミスはするものだから仕方ない」と言うように受け取られているのではないか?ということだ…

 

そもそも野球と言うスポーツは、“失敗”をベースに考えるスポーツと言える。

特にバッティングに関しては、7割失敗したとしても一流の打者と言われる。

 

投手もクオリティースタートと言う考え方があって、6回3失点で先発投手としての役割を果たしたと言う基準がある。要は2イニングに1点は取られても仕事をしたと言うことだ。

 

栗山監督が言っているのはこのことであって、「ミスがOK」と言うことではない。

「そこから何を学ぶか、学ぶ過程において、その勝敗の責任は監督が負うよ」

と言うことだ。

 

選手の技術向上や意識の問題に関しては、球団(チーム)としての仕組み(システム)の問題であり、監督の責任とは別のところにある。

 

北海道移転後からファイターズファンになられた方は、常にAクラスに入ってくる、強いファイターズの印象と思うが、東京時代には決してそんなことは無くて、現在、解説者を務められている白井一幸さんや球団関係者の方が、チームを強くするためのシステムを作り上げた。

 

そのシステムのアップデートが迫られていると言うことなのだろう。

 

 

 

前回のブログで野村佑希に関する記事を丹精込めて書いたが、その野村は骨折によって長期離脱となった。

 

今のファイターズの状況では

「夢も希望も無くなった」

と言う表現になると思う。

 

そして、

ここ数日のファイターズのプレーはプロ野球選手のプレーとは程遠い…

 

それを因数分解すると、勝ちへの望みが薄い上に、希望の光だった若武者が離脱と言うことが「夢も希望も無くなった」と言う表現に繋がっている。

 

僕が結論として何が言いたいかと言えば、

選手や監督個人が悪いと言うよりも、高卒2年目の選手が離脱したことで、ファンに「夢も希望も無くなった」と思わせてしまうシステムが悪い。と言うことだ。

 

勝ちに対する意識、ミスに対する意識、これが明らかにそれぞれの立場にとって別の方向を向いている。

 

ここをある程度強制的に戻す仕組みを構築しないと、本当に、ファイターズファンは夢と希望が無くなってしまう…

 

ただ、誰かを悪者にする組織は必ず衰退する。

阪神と言う球団を見ていれば分かると思う。

 

監督の首をすりかえればチームが勝つと思っている。

打てない4番をさらし者にして、4番を変えれば勝てると思っている。

打たれたクローザーに敗戦を全て背負わせる。

そう言うことではなく、

誰かが悪者にならない仕組みこそがチームとして一番強くなる。

 

僕たちファンはそこのところをしっかり認めながら、今のファイターズと向き合ていく必要がありそうだ。

 

来週から、観客の居る札幌ドームへ帰る。

 

チームを高い意識に押し上げてくれた札幌のファンに「夢も希望もないプレー」見せることの無いよう切に願いたい。

 

プロ野球ってそう言うものだと思うからね!

 

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栗山監督へ

少なからず現場ベースで、そういう仕組みを作れるのは監督しかいません。

僕も、自分自身、仲間のためにそう言う仕組み作りを微力ながらしています。

(実は今週はそう言う1週間だった)

栗山監督は、僕の目標なので、どうかよろしくお願いします(泣)