僕がデータを重んじる理由
普段、僕のブログを読んで頂いている方は感じているかもしれませんが、何かを伝えようとする時、なるべくデータを出して伝えようとしている。
一番最初の、更新の時に
野球とは“確率のスポーツ”であると記述した。
その確率はデータによって出されるものである。
そんな僕がデータに興味を持つようになったのは、野球と言うスポーツがきっかけでは無い。
そんな僕のデータへこだわるようになったきっかけを今回は書いていこうと思う。
(少し、野球の話題とは離れるかな…)
僕は、最近までスーパーマーケットの従業員だった。
転職でこの業界に入って、責任者の地位になった時のことだ。
そこで、僕は面白い上司と出会った。
スーパーマーケットと言う業界は、本当に感性の職場だ。
「この売場は良い」とか「この売場は悪い」とか、感覚でものを見るケースがほとんどだ。
毎日顔を合わせる上司、店舗巡回に来る偉い人や取締役に、ああだこうだ言われ、パワハラまがいの説教で、徹夜で売場を手直しさせられたり、降格になったりする。
(この業界にお勤めの方はよくわかるかと思います)
僕は転職組だから、そんな常識なんて知ったこっちゃ無かったが、逆に転職組だからこそ、これ見よがしに上の人に“教えてやっている”と言わんばかりに、その常識を強要される。
そんな時に出会ったのが、データを重視する上司だった。
『野村ノート』と言うノムさんの著書を読んだことがある方はいらっしゃると思いますが、まさにそこに書いてある内容のそのもの…
根拠の無い、発注や売場は容赦なく怒られた。
↑こんな感じww
逆に、根拠があれば、コミュニケーションをとって改善するための方法を教えてくれた。
僕はこの上司のおかげで、データを重要視するようになった。
と言うのは、スーパーマーケット業界の根拠の無い指導やパワハラで嫌な思いをすることが多く、無いが正解か分からない中で仕事をしていることに納得できなかったからだ。
僕のデータ収集はそんなことがきっかけだった。
スーパーマーケットは、商品がレジを通過することでデータが蓄積される。
これをPOSデータと言って、野球と同じように、さまざまな角度でデータを分析することができる。
最近は、本社でPOSデータを管理して、現場に下ろすと言う手法をとっている会社も多いが、どうしても個店任せになっている会社が多い。
話を戻そう!
僕はとにかくデータを大切にした。
売上や利益の精度を上げる根拠がそこには隠れている。
毎年、恵方巻の時期が来ると、食品ロスの問題がクローズアップされる。
複数社のアンケートでは、食品ロスの原因として、「現場の発注が甘い」と言う認識をしている企業が60%近くあったと言う。
データはそう言う食品ロスのリスクをとにかく下げることができる唯一の“根拠”だ
業界の体質としてなのか消費者の意識なのかは、議論から外したとして、欠品は絶対にNGなのだ。
恵方巻の日は、野球で言えば、「この場面では絶対にホームランを打たれてはいけない」と言うリスクヘッジと、「この場面で、絶対にホームランを打たないといけない」と言う状況が同時にくるようなものだ。
そんな時、できるだけデータを集積しておく。例えれば、どのコースを最もホームランされているのか、苦手なコースはどこか、ストレートの次の変化球はこの球種が得意とか、とにかくホームランを打たれない配球をするために、複数の角度からデータをみる。
もちろんこれは、食品ロス=会社の不利益だから、まず大切なこと……
なのだが、一方で売上を稼ぐイベントでもあるから、それを気にした弱気な配球をすると、会社からは大目玉を食らう。
「やる気があるのか!」この一言をどれだけ聞いたことか…
サラリーマンなので、味方ベンチへのアピールをする配球も織り交ぜないといけないが、それもデータが味方になってくれる。
天候の問題やトラブルがあって、売れない状況になったとしても「しゃーない」と言える。それで食品ロスにつながるのは辛いが、最善をつくしたのだから仕方ないと言える。
なので、3年間、クリスマス、大晦日、恵方巻と言う3大イベントで失敗をしなかったことは、僕が自慢できる数少ないことなのだが、徹底したデータ分析で辿り着いた結果が、データへの思い入れとなっている。
最近、若い人と話していて「Webマーケティング」をやりたいと言う人と話をする機会があって、マーケティングについても考えさせられた。
マーケティングは基本データで成り立っている。
マーケティングなくして、商売をするなんてあり得ないが、マーケティングも僕がやっていたデータ分析も、確率を上げるための手段にすぎない。
そして、マーケティングは未来を見据えることも多く、現場との意識が乖離することも多いと言う。
まして、AIが発達すると、僕がやっていたレベルなんて、すぐにAIに置き換えられてしまうし、マーケティングもいずれはそうなるだろう。
「データにはバイアスをかけてはいけない。」
あるデータ分析会社の営業さんから聞いた話だ。
AIのデータ集積には、人間の感情や意思は排除される。
僕は最悪、それでも良いと思う。
確率を追い求めると言う観点からはベストな選択をすることが出来るからだ。
ただ、人間が何かチャレンジをするとき、意思が必ず入る。
先ほどの野球の例えで言うと、ホームランを打たれたらいけないと言う状況で、「自分の一番得意なストレートで絶対に抑える!」と投手が心に決めていたとすれば、相手がホームランを打っているのはすべてストレートだと捕手が言っても納得はしないだろう。
AIはそこでストレートを投げると言う要素を排除するが、人間には心があるので排除できない。
スーパーで言えば、商品開発部(バイヤー)が「絶対にこれは売れる!」とリリースしようとした商品が、マーケティング的には全く売れない商品だった場合。
僕はそんな状況を後押しするデータがあっても良いと思う。
それは意思を持った人間がAIを使ってできることかもしれない。
僕はデータが確率を追い求めるだけでなく、人間の心に響くようなデータを大切にしていきたいと思っている。
スーパーで言えば、お客さんにより良い商品を提供するためのデータであり、ブログで更新をしているような野球のことであれば、ファンの人がこう言うところを改めて見ようとか、野球をもっと深く好きになるためのデータを出していけたらと思う。
ちなみに、スーパーを退職する直前、部下に発注を教える機会があったが、その子には
データ60%・意思20%・残りの20%は一生正解の無い部分
と伝えさせてもらった。
データを重要視している人間とは思えない発言だが、これが僕の本音だった。とにかく100%の発注なんてあり得ないのだから…
そしてデータを後ろ盾に仕事してきた僕が、異動先の上司に、「今日からあなたはパソコン見るの禁止」と言われた時、退職をほぼほぼ決めた。
今回は、野球の話から外れてしまったが、僕がデータを大切にしている理由が少しでも伝われば幸いである。