野球観術

野球や組織論はいつだって愛情から始まる

ノムさんありがとう

2月11日にプロ野球で選手・監督として活躍された、野村克也さんが、虚血性心不全で亡くなられた。

ご冥福をお祈りします。

 

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僕が野球に興味を持ち始めた小学生のころ、野村さんはヤクルトの監督を務められていた。

イチローのファンだった当時、地上波で放送されていたオリックスVSヤクルトの日本シリーズを噛り付くように見ていたのを覚えている。

 

そして、僕が大学生の時に1冊の本に出会った。

『野村ノート』

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この本が、僕の読書の原点でもある。

小中高と全くと言っていい程、読書をしたことの無かった僕にとって、野球の本は非常に馴染みやすいものだった。

 

そこで“弱者の理論”を学ぶ原点にもなった。

生まれつき身体も弱く、頭も良くない。

でも社会人になればいろんな人と競っていかなければならない。

大学生の時も、今思えばちっぽけな人間関係に悩まされたが、野球と言う一つの競争社会と対比して、弱者が生きていく理論みたいなものを学ぶことができた。

 

その後、社会人になり、転職に失敗し暗闇を彷徨っているとき、

『負け方の極意』と言う本に出会い、僕の支えとなった。

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野村さんの本はたくさん読んだが、この本が最も僕の心には響く1冊となった。

 

ここから、落合博満氏の『采配』と言う本に出会い、その両監督のもとで現役をしていた川崎憲次郎氏の『野村「ID野球」と落合「オレ流」野球』と言う本をきっかけに、野球の本を読み漁るようになった。

 

いわば、野球を知る原点であり、生きていくために必要なことを学ぶための原点が野村克也さんと言う存在だ。

 

このブログも野村さんの本との出会いが無ければ、書くことは無かったと言ってもいい。

やはり、文章を書くには、文章を読むしかない。

これは多くのブロガーが共通して言っていることだが、野球や生き方、文章の書くために必要なことの教えてくれた人なのだ。

 

人生で言えば、野村さんは監督生活24年で1565勝・1563敗と言う記録を持っている。

僕がいろんな人と話をするとき、

「人生で楽しいこと幸せなことが1つでも勝ち越せば良い」

と言う話をするのは、この数字が大きく影響している。

弱いチームを強くするという野村さんの監督としての生き方を象徴する数字でもあるし、僕も自分自身の人生においてそうありたいと思っている。

 

仕事においても、

結果ではなくプロセスを大切にする

と言う考え方をすごく大切にしている。

僕もサラリーマン生活で多くの上司に仕えたが、結果論でモノを言う上司が多く、辛い思いもしたし、プロセスを大事にしてくれる上司の元では成長も早かった。

そして何より仕事がしやすかった。

 

僕自身が上司と言う立場になった時に、大切にしていた根幹の考えは野村さんだし、その実際の経験から得たものは僕にとって大きな財産となっている。

 

野球と言うスポーツについては、今でいう“クイック投法”“ギャンブルスタート”ホットゾーンなど、野村さんが残した功績は計り知れない。

 

また、僕が野球観術を記すにあたって、野村さんの言葉が支えになっている。

「観客が監督の気持ちになって野球を見るのが楽しい」

と言う言葉だ。

 

僕自身は野球の経験は全く無い。

そんな野球経験が無い人間が、偉そうにブログを書いたり、選手のプレーに対していろいろ言うのはおかしいという意見がある。

僕もそう思うし、そのコンプレックスを拭い去るために、リスクを負って野球の仕事にチャレンジした。

結果は更なる挫折を味わうことになったが、そこで野球を真剣に学んだことが、ブログに生きているし、1人のファンとして

「監督の気持ちになって野球を見る」ことだって間違っていないんだ

と言う確信を持たせてもらった言葉だ。

 

野村さんの訃報のあと、その教え子たちのコメントが山ほどスポーツ紙に掲載されていた。

野村さんがいかに野球人として、素晴らしい人であったかと言うことの何よりの証拠だと思う。

 

人間と言うのは完璧では無い。

それでもプロ野球チームの監督として人間力を説かなければならない中で、自分の弱さをさらけ出すという強さも持っていた。

 

人間としての弱き部分を、沙知代夫人と言う大きな存在で補い、勝負師としての強さを存分に発揮された。

 

 

沙知代夫人が亡くなってからの老け込み方は、ものすごく早かった。

江本孟紀氏もスポーツ紙でコメントをしていたが、「野球とサッチーが全てだった」のだなと思う。

 

最愛の人の元へ旅立っていったノムさんには、これからもずっと日本の野球界を見守って欲しいと思う。

 

僕自身も感謝の気持ちをもって、ご冥福をお祈りしたいと思う。