寺子屋ファイターズ② ~慈悲心~
先月のブログで「寺子屋ファイターズをこの野球観術でもやります。」
と書いたが、
新型コロナウィルスの感染状況が東京を中心に深刻化しているのも事実であり、ファイターズと言う球団は、いち早くチームを一時解散、鎌ケ谷の寮でも外出禁止を早くから公表するなど、対応が早かった。
では、なぜファイターズと言う球団がそう言った対応が早いのかと言うと、組織として大切にしていることがあるからだと思う。
それは選手としての実績や知名度に捉われず、栗山英樹と言う変人?(笑)を監督に抜擢したところにも表れている。
そう言った考えを更に浸透させていったのが栗山監督であり、GMを始めとする球団幹部だと僕は思っている。
自然と正しい行動を取るために必要なことはたくさんあるが、栗山監督が著書の中でよく言う、人間力と言うものだと思う。
栗山監督はそのヒントを『論語』などの古典に求めた。
『論語』が記された約2500年前と同時期に布教し始めた“仏教”の教えをここで紹介したいと思う。
先日、ダルビッシュの新型コロナウィルスに関するツイートが話題になった。
https://full-count.jp/2020/03/30/post736950/
栗山監督とは、すれ違いでメジャーへ旅立って行ったが、球団の教育と言うのがこう言ったダルビッシュの人間性にも表れている。
Youtube の配信の内容も、ファイターズへの感謝の言葉が多く出てくる。
話は本題へ
仏教の教えに“慈悲心”と言うものがある。
簡単に言ってしまえば、
「相手を思いやる心」
と言い換えられるかもしれない。
僕はこのダルビッシュのツイートにすごく“慈悲心”を感じた。
僕が関わる職場や組織(グループ)には必ずと言って良いほど、僕に対して、悪口を言ったり、梯子を外そうとする人が居る。
その都度腹は立つが、“慈悲心”と言うのはそんな時でも、相手(悪口を言ったり悪意を持って接してくる人)を思いやる気持ちを持つべきだと教えている。
口には出さないが、「家庭でうまく行っていないのかな?」とか、「それをしないと心が保てないのかな?」とか、なんとか絞り出して、怒りを鎮める努力をしている(全然出来てないけどね)
職場でも組織でもそれ(慈悲心)を大切にしていた結果、仲間が増えていった。
もちろんそのことによって失うこともあるが、そんな人(モノ)は初めから無かったもとして考えることができる。
話は逸れたが、
新型コロナウィルスに対峙するときに大切なのはこの“慈悲心”だなと
ダルビッシュが教えてくれた気がした。
ある仏教者の方が言っていたが、「新型コロナウィルス(=以下ウィルス)がテロリストだと思ってみよう」と・・・
ウィルスは人間と言う乗り物(戦闘機)に乗って移動して、人間の身体や心を蝕んでいく。
そのテロリストに戦闘機を与えているのは何かを考えてみよう!
人間自身の自我であり栗山監督の言う“子供っぽい心”だ。
相手を思いやり
それぞれが抱えた事情(お金や生活、言い出したら切りがない)を超えて、“慈悲心”を
持ちウィルスに戦闘機を与えないことだ。(人混みへの外出・濃厚接触者を減らすなど)
“慈悲心”を持たない人にウィルスは好んで寄ってくる。
だってウィルスにとっては、感染を広げるには好都合だからね!
栗山監督の著書『稚心を去る』
の中にもあるように、うまく行っている時には大人の心でチームのためと言えるが、うまく行かなくなると子供っぽい心が出てくると言うように、
政府から緊急事態宣言が発令され、都市部がロックダウンにでもなろうもんなら、子供っぽい心が出てきて、スーパーマーケットを始めとする小売店に駆け込む人が増える。
ウィルスの思うツボだ。
そうなれば、僕はスーパーマーケットの従業員だから、ロックダウンが起きれば、医療機関の次に危険な場所が職場になる。
ウィルスを積んだ(積んでいるかもしれない)戦闘機(人間)への燃料供給と発着指令を出す立場だからね。
“慈悲心”がある人は、スーパーマーケットに駆け込まず、自らもウィルスにかかるリスクも媒介するリスクも低減することが出来る
=ウィルスに戦闘機を提供しないと言う、素晴らしい行動をとることが出来る。
(ずっと行くなと言ってる訳ではないので悪しからず…)
正しい智慧(知恵)のある者(疫学や医学、経済学など)はそれなりの行動がとれるだろうが、僕も含めほとんどの人が、正しい智慧を持ち合わせていない。
であれば、ダルビッシュが教えてくれた“慈悲心”だけでもみんなが持てたら良いなと僕は思う。
ダルビッシュは僕と同じ歳であるし、ものすごく尊敬できるし、単純に「すごいな!」って思う。
だから、せめて一人でも多くの人に、ダルビッシュの心を広げられたらと思い
今回の更新とした。