野球観術

野球や組織論はいつだって愛情から始まる

悪者を作らない

 

最近、スラムダンクに再びハマっている筆者です。

やっぱりあのアニメは何度見ても良いよね♪

 

ちなみに僕の好きなセリフは

 

「なぜ、そこに桜木がいるんだぁ!?

by田岡茂一

 

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です。

 

さてさて本題!!

 

2018年8月にいろいろと物議を醸したワンプレーがあった。

きっとファイターズファンの方も覚えていることと思う。

 

ライオンズとの首位攻防戦で、併殺を狙った石井一成の悪送球で、ライオンズに決勝点を与えてしまい敗戦…

その後、中島卓也が「あのプレーで優勝できなかった」と発言して、賛否が巻き起こった。

 

栗山監督の著書『稚心を去る』の中で、そのプレーについてこう記述している。

 

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確かにあれは、絶対にミスしてはいけないプレーだったかもしれない。でも、「あのエラーで負けた」と言うのは断じて違う。

そんな、たった一つのプレーで勝負が決まってしまうほど野球は単純なものではない。

なのに、いつもそういったプレーがクローズアップされてしまうのは、やっているほうも、観ている方も何かの理由付けをしたくなるからだろう。いかにもそれらしい理由付けがされた結果、まるでそのプレーが敗因であるかのように伝わってしまう。

そんなことで勝負が決まってたまるか、と言うのが正直な思いだ。

 (上記本文より抜粋)

 

これはどう考えても、石井一成は絶対にミスをしてはいけない場面だった。

しかも、守備固めで入ったそのイニングで犯した送球エラーだった。

 

石井はこのプレーがきっかけで送球難(イップス)の状態に陥ってしまった。

 

栗山監督の記述は、中島卓の発言を考慮に入れていたかは分からないが、一般的な考え方をすると、石井は戦犯であり、ファンとしては悪役である。

 

監督の言う通り、何かしら僕たちは理由付けをしたくなる。

 

その理由付けが、誰かを悪者にしてしまっては、組織として機能しないことを栗山監督は分かってこの記述をしているのではないかと最近感じるようになった。

 

コロナ自粛期間に入って、キングコング西野亮廣さんの考え方を取り入れるようになった。

 

何かをする時に“悪者を作ってはいけない”と言う考え方は正直衝撃だった。

 

それは仕事をするにあたっても、何か楽しいことを企画するにしても、僕も回りでは結構そういうことが起きていた(悪者ができてしまう)のは、その発想が僕に無かったからだと言うことに気付かされた。

 

仏教の“慈悲心”に似ているような気もしている。

 

詳細は割愛するが、今日まさに職場でそのようなことが起きた。

 

うまく行っていない状況(環境)で、バランスを取ろうとすると、結局は誰かのせいにしようとする。(誰かを悪者にしてうまくいかない理由付けしようとする)

そんな空気を避けようとして、バランスを取ろうとして、八つ当たりがこっちにくるのだが、

それは全部こっちの責任なのだ。

 

八つ当たりをしてきた人は、良識のある人だったから、僕のところに謝りに来たが、なぜそうなってしまったかを考えれば、その人は悪くない。

 

やっぱり悪者を作らない世界の方が良い。

 

人間の集まる職場だから、能力差もあるし不平不満もありましょう。

悪者を作らないと言う考え方をしようとすると、一定の決め事と管理する側の判断が大切になってくる。

 

今日は少しだけ、栗山監督の考えを実行に移せたかな!

そして少し成長できたかな!

 

と感じるシーンがあったので書き記すことにした。

 

 

話は戻って

練習試合を観ていて、その石井一成はバッティング好調をキープしていた。

打っていれば、多少のエラーはごちゃごちゃ言われなくなる!

 

石井は推しメンなので、

 

内野の悪い出来事を背負えるような遊撃手(内野のリーダー)になって欲しいと言う。

それは悪者を作らないことがどんなに大切なことであるかを、一番身をもって感じている選手だろうから…

 

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