能力が無いことをうまく捉える ~後編~
完全にスラムダンクのことが頭を離れない筆者です。
と言うことで、前回の“能力が無いことをうまく捉える”の後編です。
↑前編はこちらです。
皆さんは清宮幸太郎と言う選手をどう思いますか?
今日は、そんな清宮選手のお話…
6月10日の対スワローズ戦の練習試合でようやく1本本塁打が出た清宮だが、実際に今年1軍の舞台で活躍できるだろうか?
その清宮が活躍するための要素を今回のテーマに沿って因数分解して行こうと思う。
逆の発想から考えると、清宮の能力(魅力)っていったいなんだろうと考えてみる。
端的に言えば、
ボールを遠くへ飛ばす能力が高い。
これは誰もが認めるところだろう!
ただ、彼のボールを遠くへ飛ばす能力は、腕力では無く、
バッティングの柔らかさにある。
高校までは、その能力任せでバッティングをしてきたように思える。
ではなぜ、清宮が1軍の舞台で大きく“羽撃く”ことができないのか?
僕は2つの要素があると思っている。
一つは“選球眼”だ。
栗山監督は2018年に上梓した『稚心を去る』の中で選球眼について、このように記している。
実は、「ボール球を振らない」と言う技術はシンプルでいて最も難しい技術の一つでもある。そう、皆さんがどんなイメージを持たれているかはわからないが、「ボールを振らない」というのは、センスではなく、技術なのだ。どういう待ち方をして、どういうストライクゾーンをイメージして、どういう視界を作るか。それは「箱」なのか、それとも「軌道」なのか。そこには洗礼された技術が求められる。いま、清宮が一番身に付けなければならない技術がそれだ。
上記本文抜粋
これは2018年シーズン終了後に記された内容だが、今もその課題は残されたままだろう…
また、最近のスポーツ紙の記事でこのようなものが出ていた。
「たくさん打つより難しい」日ハム栗山監督が感嘆した近藤と西川の能力とは? (2020年5月29日)
https://www.excite.co.jp/news/article/Full_count_784341/
栗山監督は清宮に対して厳しいコメントを繰り返すが、「(西川や近藤から)お金を払ってでも選球眼について学びたい」と言うのは、清宮にそのことを伝授してあげたいと言う親心から出たものでは?と、その記事を見て感じた。
著書の本文にもあるように、“選球眼”と言うのは技術らしい…
それは与えられた能力なのか、鍛錬によってのみ会得できる技術なのか、と言えば、栗山監督としては後者なのだろう。
そして、もう一つは“配球の読み”だ。
これはプロの舞台においての経験の積み重ねでしかない。
自分にはどう言う攻めをしてくるのか?
このカウントで自分にどんな球種を選択してくるのか?
ストレートなのか?曲がる球なのか?落ちる球なのか?
調子の悪い時はどの球を待てば良いのか?
と言うことだ。
(スラムダンクに詳しい人ならこの元ネタが分かるかと(笑))
今までストレートのタイミングで変化球も打てる高い能力に任せていた分、この能力は大きく欠落していると思うし、バッティングスタイル的に、配球を読むタイプの打者に変身する可能性は低い。
となると、清宮に配球を読む能力は現時点では無いし、今後もその能力に長けるタイプの打者にはならないと思われる。
選球眼が自分の打てる範囲のゾーンだと仮定すると、清宮は柔らかさがあって打てる範囲が広いからボールを追いかけてしまう。栗山監督の言う清宮に求める、選球眼の技術と言うのそこにあると想像できる。
選球眼は配球の読みと言うのは抱き合わせと言う考え方もできるが、ここで(清宮の場合)は切り離して考える。
近藤はこの抱き合わせとプロでも屈指のスイングスピードを持ってして、.422と言う出塁率を残している。
清宮に対しては、選球眼と言う技術が身に付くまでは、
ベンチが“配球の読みの部分”で補ってあげる必要がある
ように思える。
清宮がそれなりに打席に立つ機会があれば、シーズン序盤には、プロ野球選手が1軍のボールに慣れる目安とされる500打席に達する。
平成の大打者である小笠原コーチや、代打の切り札だった矢野コーチから
“配球の助言”がもらえれば、恐らく20本塁打は打てると思われる。
どうでしょう?
みなさんはどんな見解を持たれますか?
ボールを飛ばす能力は中田と大田泰示に匹敵する。
配球を読むと言う面において、
“能力が無いことをうまく捉えて”
清宮にとって2020年シーズンが明るいものになることを祈って止まない!