高校野球の魅力
今日から、
夏の全国高校野球選手権大会(=夏の甲子園)が開幕!!
僕が高校野球を見るようになったきっかけは、1998年第80回大会の、松坂大輔(=中日ドラゴンズ)擁する横浜高校と、現在楽天の監督をしている平石洋介がいたPL学園高校との延長17回の熱戦だった。
そして、11年前に大学の後輩に連れられ、甲子園球場に行ってからは、毎年、球場に足を運んでいる。
あの球場の雰囲気は言葉では言い表せないものがある。
最近は高校野球人気も上昇し、朝早くから並ばないと、球場に入れないようになってしまったが、今年も気合を入れて行く予定にしている。
このブログを読んで頂いている方は、プロ野球ファンの方が多いと思う。
プロと言う舞台でやっている野球は非常にスピード感があり、作戦も緻密だ。
甲子園に出場するような高校は、レベルが非常に高いが、プロ野球に比べると、シンプルだし、負けたら終わりという緊張感も見る人に多くの感動を与える。
併殺打を一つ取ることだけでも、拍手に値すると言う感覚はプロ野球では味わえない感覚だ。
必死にやっているからこそ、出てしまうミスや、所謂甲子園の“マモノ”も出現する。
プロで見ている当たり前は、高校野球では当たり前ではない。
そんな目で、彼らのプレーを見ていると、本当に目頭が熱くなるシーンがたくさんある。
今年は、春の選抜に出場した高校や、強豪校が相次いで地方予選で敗れた。
公立高校の出場も今年は目立ち、よりシンプルな野球が見られるのではないかと思っている。
僕が言うシンプルと言うのは、守備で言えば1つのストライクやアウトを取ることの難しさ、攻撃では長打が出ない中でどうやって1点をとるかと言う、チームが取り組んできた特徴みたいなものを指す。
たとえば、1死2・3塁の場面で内野が前進守備を取る。
プロ野球以上に、スクイズの可能性が高く、バッテリーもストライクを取ることが難しい中で、簡単にストライクゾーンにボールを投げることも憚られる。
そんな場面で、前進守備の内野にゴロが転がったとして、ホームでアウトを取れたとすれば、本当にファインプレーなのだ。
プロであれば「前進守備なのだから当たり前だろう!?」
と思うかもしれないが、
バッテリーとしてしっかり勝負出来ているということ、ミスをすれば1点もしくは2点入ってしまう内野手の緊張感…
高校生がたくさんの練習を積んできて全国の舞台でそれを発揮することの難しさみたいなものは、ずっと高校野球を見ていると、ものすごく感じる。
また、僕が野球は、
確立のスポーツであり、流れのスポーツである
と言うのをテーマにしているが、
甲子園は流れの側面が非常に大きいと思う。
その流れも、現地の甲子園に行くと、全身で浴びることができる。
少し野球と言う側面とは違うが、アルプススタンドの吹奏楽やチアガールの応援も甲子園球場の雰囲気に華を添える。
プレーもそうだが、この応援が流れを作ってくれる。
この(ブログで紹介をしている)試合は本当に鳥肌の立つような展開だった。
公立高校や負けているチームを後押しする応援が球場全体を支配する。
毎年毎年、この傾向は強くなってきている。
報道の中には、“スタンドの悪乗り”と言う言葉が踊ったりするが、劣勢のチームを応援したり、ドラマを期待する気持ちってどんな人の心にもあると思っていて、これを規制するような流れに僕は反対だ。
そう言った、スタンドの思いみたいなものが甲子園の歴史を作ってきたわけだし、世の中の考えが多様化している中で、それを表現することに寛容になったと言う“時代の流れ”と思うからだ。
だからこそ(応援されていないチーム)は、1つのストライク、1つのアウトを取ることをもっともっと大切にして欲しいという思いだ。
“野球は不平等を教えるスポーツ”と言う栗山監督の言葉にもあるように、そんな理不尽な空気を感じることも野球が教えてくれる何かなのだと思う。
そう言ったことも含めて、
“愛情を持った目”
で16日間の熱戦を見届けたいと思う。