野球観術

野球や組織論はいつだって愛情から始まる

怒りのマネージメント

仏教の世界では

人間における3つの毒があるとされているらしい。

 

貪・瞋・痴(とん・じん・ち)

人間のもつ根元的な3つの悪徳のこと。自分の好むものをむさぼり求める欲,自分の嫌いなものを憎み嫌悪する恚,ものごとに的確な判断が下せずに,迷い惑う愚の3つで,人を毒するから三毒,三不善根などとも呼ばれる。

※文献引用

 

貪(人間の欲望)

瞋(怒り・憎しみ)

痴(愚かさ)

 

僕がこの考えに触れる機会があったのは最近のことだが、自分の心が暴走しないよう、セルフコントロールを会得したいと言う学びの中で出会った言葉だ。

 

実際問題、これを知ったからと言って仏のような心を手に入れられる訳では無いが、何か生きる上でヒントをもらいたいと思い、こう言った言葉を大切にしている。

 

今回はその中の、“瞋(怒り・憎しみ)”

僕が今もっとも取り組んでいるテーマでもあるが、そんな最中にファイターズでこんな事件が起きた。

 

9月4日のロッテ戦@ZOZOマリン

ファイターズ1点リードで迎えた8回、宮西がマウンドに上がるも、1アウトからサード横尾がなんでもないサードゴロをお手玉しエラー。

1死1・3塁で迎えたロッテマーティンの打球はショート平沼への正面のゴロ。

ゲッツーと思いきや、平沼のトスをセカンド渡邊が落球。同点に追いつかれてしまった。

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僕は「なんのための中間守備だよ!」と独り言←

スリーアウトを取り終えた宮西はベンチで怒りを爆発させ、裏に下がって行った。

 

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「そりゃ怒りたくもなるわなぁ…」と

僕は単純に宮西がただ単純に怒っているとしか受け取らなかった。

 

後日の記事↓

日本ハム】渡辺、汚名返上アーチ…失策で宮西から「正座せえっ!」続けてかけられた言葉は

https://hochi.news/articles/20190907-OHT1T50228.html

責任感のある宮西らしい良い話だが、怒りを表すことの難しさを改めて考えさせられる一幕だった。

 

仏教の世界で、なぜ怒りの感情が三毒の一つとして扱われ、その扱いについて説かれているのかと言うと、その感情が自分を傷つけ、時には他人に危害を加える膨大なエネルギーであるからだと言う。

 

僕が今なぜ、そのテーマを大事にしているかと言うと、怒りと言うと語弊があるかもしれないが、自分自身が八つ当たりの対象になりやすいと言うこと、またそのことでイライラして、自分を傷つけることから解放されたいからだ。

 

世の中にはそんな構図はいくらでもあるし、ブラック企業だのパワハラの類って、結局はそこに行き着くものだと考えている部分もある。

(いつかはこのテーマも扱って行きたいと思っている)

 

逆に、その“怒り”の感情がプラスに働くことも多くあり、その感情の扱いについては難しさを感じていた時に、こんな事件が起きた。

 

そして、

ファイターズはこの宮西の怒りがチームを鼓舞する形になり3連勝と息を吹き返した。

 

そんな“怒り”の感情とはどんな正体なのか、ファイターズにもたらして宮西の“怒り”のプラスの作用とは、

それを自分なりに考えてみた。

 

本来、“怒り”と言う感情は二次感情と言われ、もともと別の感情が“怒り”と言う感情に変化して人間の心を支配する。

主に、悲しみや不安、時には恥ずかしさ・寂しさ・不甲斐なさ、が“怒り”に変わっていく。

 

そのもととなる感情が無意識のうちに“怒り”の感情へと変化し、それが爆発することで自分を傷つけたり、他人を傷つけたりするものだと以前に師匠に教わったことがある。

 

どうしても“怒り”と言う感情をうまくコントロールするためには、この元になる感情を正しく把握し、それを冷静に、しかも、うまく表現することができることが理想だ。

 

4日の試合は

一流の投手の立場としては、“怒り”の持って行きようのないシーンだ。

一つのエラーならまだしも、中間守備で注文通り併殺コースに打たせて、仕事は完了のはずが、二つ目のエラーで併殺が取れず同点とされてしまった。

野手のエラーをカバーすると言う責任感も当然宮西クラスになれば持っているだろうし、逆に、「(二つの)エラーでの失点だから…」と切り替えられなければ、投球自体が苦しいものになってしまう。

 

宮西は記事の中で

「失策に対して“キレた”わけではない。覇気のないチーム、ミスをカバーできなかった自分のふがいなさが相まって感情が爆発しただけ。」

とコメントしている。

 

12年連続で50試合以上の登板をしている投手は、セルフコントロールの術をよく知っているなと、やはり驚かされるばかりだ。

しっかり自分の一次感情を理解し、それを覇気の無いチームへ向けたものだと冷静に振り返っていた。

 

一方でこの1件だって、悪い方に転じる可能性だってあったはずだ。

それが原因で、渡邊のイップスが再発したり、投手陣と野手との間に亀裂が入る可能性だってあった。

 

ただ、渡邊がこんなところで止まってしまう選手でないことを宮西は分かっていたのかもしれないし、シーズンの大半、セカンドと言う負担の重いポジションを守り抜いたことで、渡邊に与えられた次なる試練だと言うことを気付かせるものだったかもしれない。

 

野球も人生も結果論で語られるのは仕方ないこととして、宮西の“怒り”の感情の使い方は、ファイターズと言うチームに向けられた正しい使い方だったと思う。

 

仏教の世界では、“怒り”と言う感情を正しく扱えるようになるためには、人間力を鍛えることが不可欠だと説いている。

“決して欠かすことの出来ない”人間力無くして、“怒り”と言うプラスにもマイナスにも働く膨大なエネルギーをコントロールしえない、と言うことだ。

 

宮西は渡邊の失策のあとも、三振と三邪飛に打者を打ち取って追加点を許さなかった。

それを見れば、感情のコントロールがしっかり出来ていたと言って間違いないだろう。

チームメイトのコメントを聞けば、宮西の人間性人間力が素晴らしいものであることはすごく伝わってくる。 

 

栗山監督が「(負けたとしても)意味のある負けにしなければいけない。」と繰り返し言うが、まさにこの試合はそんな試合だったのかもしれない。

栗山監督自身が“怒り”を選手にぶつけない人だから閉塞感が出てしまうのは否めないが、それもまた栗山英樹と言う感情のコントロールの術を知っている人間なのだろう。

 

僕自身も、“怒り”の感情をコントロールできるようになるために、いろんなことを心掛けている。

“怒り”押し殺すことも無く、真正面からぶつけることも無く、自分を傷つけることも無く、と言うのが理想だが、その心掛けが何年か後に身を結ぶこともあると信じている。

 

今は、心に波が立っているなと感じると

「それで(今と言う時間や物事が)成り立っているんだから良いんだ。

と言う言葉を(心の中で)つぶやくようにしている。

 

まずは、心のしなやかさを作って、一次感情をしっかり“内観”できることを意識している。

1日や2日で出来るようになることでは無いし、何年もかかるかもしれないが、宮西や栗山監督に少しでも近づけるようになりたいものだ。

 

ファイターズはまだまだ、クライマックスシリーズを諦めた訳では無い。

田中賢介が若い頃に苦しんで、多くの舞台に立つことの出来なかった、かつてのホーム

@東京ドーム三連戦の後は、ソフトバンク三連戦と続いていく。

田中賢介はその悔しさを北海道に舞台を移してから、レギュラー定着と言う形で晴らした。

そして今年、惜しまれて引退していく(泣)

また、今年のファイターズはソフトバンクに大きく負け越している。

その悔しさを、“怒り”の感情に支配されずクラマックシリーズへの足掛かりにできるか。

 

そんな目で、“怒りのマネージメント”をしながら

今週からのファイターズを見守って行きたいと思う。